脚延長手術とはLEG LENGTHENING

脚延長(骨延長)手術
(身長を伸ばす手術)

LEG LENGTHENING

当クリニックで、脚延長(骨延長)手術を始めるきっかけとなったのは、多くの方から身長(脚)を伸ばしてほしいと、依頼を受けてきたことから始まります。 海外ではよく知られた手術のため、身長(脚)を伸ばす、骨延長手術を受けに行き、失敗し、日本に戻り私たちの元に来られた方もいらっしゃいます。 そんな中で、身長で困っている方に対して、安心の医療を提供したいと思い、始めるに至りました。 ハイリスクな手術になりますので、脚延長(骨延長)手術をご希望される方は、熟慮されることを望みます。 先ずはカウンセリングにお越しください。

脚延長(骨延長)手術の歴史

HISTORY

脚延長(骨延長)手術は、110年以上もの歴史があります。
長い歴史の中で改良が加えられ、創外固定の種類が増えて、安全性も高くなりました。
海外では、美容目的の脚延長が数多くおこなわれています。

年表

CHRONOLOGY

1903年(明治36年) イタリア人のAlessandro Codivillaは、骨切りを行い、足をゆっくりと牽引する術式を行った論文記述があります。(英語版の論文は1905年)
1908年(明治41年) 上述の治療法がアメリカに渡り、シカゴでMagnusonが、犬にこの方法を用い、5㎝から7.5の延長に成功。数年後に人間にも行うが失敗してしまいます。
1921年(大正10年) Magnusonの後継者であるPuttiたちが創外固定器をもちいて脚延長を始めました。
1930年(昭和5年) この頃からは、脚延長用の創外固定がたくさん開発されます。
1951年(昭和26年) Ilizarov(イロザロフ)がリング型創外固定器を発明。キルシュナー鋼線を用いた徐々に組織を延長する考え方を提唱し、脚延長術などに革命的な進化をもたらしました。
1963年(昭和38年) Wagnerは延長できる創外固定器を開発しました。創外固定器は、骨にピンを刺し体外にそのピンを突出させたうえで、ピンを特殊なロッドで固定します。また、一方にネジがありこれを回すと延長が可能となります。
1968年(昭和43年) 骨延長術のイリザロフ法が知れわたる重要なで出来事がありました。東京オリンピック(1964年)で金メダルを獲得した、ソ連の陸上高跳び選手が、交通事故で右下腿開放骨折し、偽関節となっていました。しかしIlizarovの元を訪れて完治し、その後2mのジャンプを成功させました。この出来事によりIlizarovは、ソ連国内において一目置かれる存在となりました。
1971年(昭和46年) Kurgan(ロシア、クルガン州)にIlizarov Centerを設立します。(現在のMuseumの建物)
1980年(昭和55年) 右下腿開放骨折を負ったイタリアの冒険家Carlo Mauriが、イリザロフ法により治癒しました。それが、イタリアの医師の知るところとなり、イタリアやアメリカ、世界へと普及していきました。
1989年(平成元年) 東京大学整形外科教授の黒川高秀先生がKurgan(ロシア、クルガン州)を訪問し、以後様々な先生たちが訪れ日本でも普及していった経緯があります。

1903年(明治36年)

イタリア人のAlessandro Codivillaは、骨切りを行い、足をゆっくりと牽引する術式を行った論文記述があります。(英語版の論文は1905年)

1908年(明治41年)

上述の治療法がアメリカに渡り、シカゴでMagnusonが、犬にこの方法を用い、5㎝から7.5の延長に成功。数年後に人間にも行うが失敗してしまいます。

1921年(大正10年)

Magnusonの後継者であるPuttiたちが創外固定器をもちいて脚延長を始めました。

1930年(昭和5年)

この頃からは、脚延長用の創外固定がたくさん開発されます。

1951年(昭和26年)

Ilizarov(イロザロフ)がリング型創外固定器を発明。キルシュナー鋼線を用いた徐々に組織を延長する考え方を提唱し、脚延長術などに革命的な進化をもたらしました。

1963年(昭和38年)

Wagnerは延長できる創外固定器を開発しました。創外固定器は、骨にピンを刺し体外にそのピンを突出させたうえで、ピンを特殊なロッドで固定します。また、一方にネジがありこれを回すと延長が可能となります。

1968年(昭和43年)

骨延長術のイリザロフ法が知れわたる重要なで出来事がありました。東京オリンピック(1964年)で金メダルを獲得した、ソ連の陸上高跳び選手が、交通事故で右下腿開放骨折し、偽関節となっていました。しかしIlizarovの元を訪れて完治し、その後2mのジャンプを成功させました。この出来事によりIlizarovは、ソ連国内において一目置かれる存在となりました。

1971年(昭和46年)

Kurgan(ロシア、クルガン州)にIlizarov Centerを設立します。(現在のMuseumの建物)

1980年(昭和55年)

右下腿開放骨折を負ったイタリアの冒険家Carlo Mauriが、イリザロフ法により治癒しました。それが、イタリアの医師の知るところとなり、イタリアやアメリカ、世界へと普及していきました。

1989年(平成元年)

東京大学整形外科教授の黒川高秀先生がKurgan(ロシア、クルガン州)を訪問し、以後様々な先生たちが訪れ日本でも普及していった経緯があります。

Columnコラム

整形外科医の間で語られているIlizarov(イリザロフ)医師の逸話です。 当時Ilizarovは、旧ソ連のクルガン地方で第二次大戦後の戦傷兵の治療にかかわっていました。医療器具や医薬品なども整わない状況のなか、リング状の創外固定器を用いて、骨を固定する方法を独自に開発します。Ilizarovは、ある患者にその固定器を取り付けて、自分の休暇中は、自ら骨折部に圧迫をかけるよう指示しました。 しかしその方は誤って、圧迫をかけるはずのナットを逆に回し、延長してしまったのです。休暇から戻ってきた Ilizarovは驚き、レントゲンを撮ってみると、骨折部にできた隙間には新しい骨ができていたのです。 骨の再生能力に気付いたIlizarovは、動物実験を行い、同時に骨を延長していくときの神経と血管の最適な延長速度も実証し、12 cmの骨延長に成功しました。 しかし、1950年代、当時のソ連(ロシア)の医師達は、骨が12cmも伸ばせるなんて誰も信じられませんでした。 このように、Ilizarovの有名な逸話はありますが、イリザロフ法が世界的に有名になった原点は、
  • 1)生体に持続的な延長力を付加することで、軟部組織や骨の新生を促せるのを実証した。
  • 2)複雑で難しい骨折の治療が創外固定によって可能になった。
  • 3)安全に脚延長を行うための概念(仮骨延長法)を確立した。
ということだと思います。イリザロフ法は、Ilizarov医師が偶然に発見した素晴らしい治療法です。
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